今となっては誰もそんな話を蒸し返さないだろう。
時代が昭和から平成に移って間もない頃。大嘗祭は京都で行われるべきだという意見があった。理由は「それが伝統だから」と。確かに大正、昭和の大嘗祭は京都で行われた。だが、それは旧皇室典範に、「即位ノ礼及(および)大嘗祭は京都ニ於(おい)テ行フ」(第11条)
という明文の規定があったからだ。この規定を尊重するなら大嘗祭だけでなく、即位の礼も京都で行うべし、と主張しないと首尾一貫しない。しかし、明治典範“以前”の明治天皇の大嘗祭は東京で行われている(明治4年)。そもそも即位式も大嘗祭も、共に「首都」で行うのが伝統的な在り方。それらが、重大な皇位継承儀礼として国家的な意義を担う以上、当然だ。京都で長くそれらが行われていたのは、単に京都が長く首都だったからに過ぎない。だから、明治天皇が東京にお移りになった後、旧典範に、両者を京都で行うと規定した事の方が、率直に言って奇妙だった。例えば、関東大震災直後の詔書(大正12年9月12日)には「東京ハ帝国ノ首都」と明言されていた。東京が首都ならば、大嘗祭は東京で行わなければ、むしろ皇位継承儀礼としての意義を軽んじる結果になる。大嘗祭=京都論が一部で唱えられていた当時、私はそのように反論した記憶がある。勿論、平成の大嘗祭は東京で行われ、それに違和感を感じる国民は殆どいなかったし、それこそ大嘗祭が本来の伝統を回復した姿だった。今や、大嘗祭の京都での斉行を訴える声は、殆ど聞こえない。昔、天皇・皇后両陛下のご成婚に反対して、「将来、平民出身の皇后が現れたら国体が破壊される」と叫んでいた声が、いつの間にか全く聞こえなくなったのと同じように。しかし、旧典範(及びそれに附属した旧登極令など)を金科玉条のように扱って、見当外れの「伝統(?)」
を振り回すやり方は、今も形を変えて生き延びている。